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アップル iPodでも『mora』で購入した曲を聴ける方法>>>


1976年4月、カリフォルニアに住むスティーブ・ジョブズ(通称 ジョブズ)とスティーブ・ウォズニアック(通称 ウォズ)は、中古のフオルクスワーゲンとヒューレット・パッカードの関数電卓を売った1350ドルを元手に、自宅のガレージで小さなコンピュータ会社を始めた。彼らは、自分たちのコンピュータを自慢したり、ゲームが一日中やりたいという子供のような夢をこの小さなコンピュータに託した。 IBM(インドストリアル ビジネス マシン)やIntel(インテグレート テレコミュニケーション)という真面目な名前でなくアップルというという斬新なネーミング。何か新しいことが始まるのではないかという予感を感じさせた。
CPUは、インテルの8080を使わずにモステックの6502という8ビットのチップが採用された。6502は、モトローラの6800系のCPUでミニコンからの設計思想を受け継いだ洗練されたアーキテクチャを持っていた。ウォズは、安いという単純な理由でこのチップを選んだ。翌年、世界初のカラーグラフィック表示機能を備えたアップルIIを売り出すと、世界的な大ヒット商品に
このアップルIIの全盛期だった1981年に、米IBM社がいまのウィンドウズパソコンの原形となるIBM‐PCを発売した。アップルIIにバンドルされは表計算ソフトのビジカルクが大ヒットし、IBMの牙城であるオフィスを侵し始めたのがきっかけだった。このとき、IBMはアップルIIを徹底的に研究したと言われている。
1983年
「リサ」を発表したが値段が1万ドルと高価だったために失敗。そこで翌年、もっと安価でコンパクトな「マッキントッシュ」を発表する。このマッキントッシュ、愛称マックは、全世界に大きな衝撃を与えた。
すでにビジネスの世界に定着していたIBM‐PCからマックに乗り換える人は少なかった。ちなみに、マックを受け入れたのは、それまでコンピユータを敬遠していた一部のインテリ層やエグゼクティブ層だった。米マイクロソフト社のビル・ゲイツは、マック用の表計算ソフト「エクセル」をジョブズから依頼されて開発したとき、マックが採用している視覚的なOSが、これからのパソコンの標準になると直感した。
1995年
マックにそっくりなウィンドウズ95が大々的なプロモーションと共に公表された。このOSをバンドルした激安のIBM‐PC互換機が発売されると、アップルはシェアーをどんどん奪われていった。
1996年
アップルはやっとOSの公開とマック互換機の生産を認める。しかし市場をとられ、アップルは経営不振に陥る。そして、昔マックの扱いを巡って当時の社長であったスカリーとケンカしてアップルを飛び出した創業者のスティーブ・ジョブズ元会長の会社である米ネクスト社を買収して、彼を技術顧問に招き入れた。アップルは、その高度な技術をマックOSと合体させた、コードネーム「ラプソディー」という新OSの開発に乗り出した。
スティーブ・ジョブズがアップルの暫定CEOに就任し、Think differentという大々的なプロモーションを始める。強い分野に特化した新たなアップルの方向性を打ち出した。ライバルと目されていたマイクロソフトとの提携、ニュートン、マック互換機の打ち切り、開発機種の絞り込み、AppleStorの開設、パワフルな新G3チップ搭載モデルの発表
1998年
アップルは、新CEOのジョブズがプロデュースした全く新しいコンセプトのiMacを発表した。
アップルは、コープランドという新しいOSの開発を行っていた。ジョブズは、NeXTの技術を活かして短期間で新しいOSを完成させた。MacOS-X。
2000年
統合するデジタルハブという装置が必要になる。様々な情報家電をつなぐ物、アナログとデジタルの橋渡しをするものとしてマックを定義した。そのキラーアプリがiTuneであり、iPodである。音楽を加工して自由に持ち運ぶことが可能になった。
2003年11月
アップル、銀座に直営店
米国のアップル本社の管轄。
いろんな所にアップルらしさをちりばめている。
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