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カルバンクライン CalvinKlein

 Information

世界中の若者に絶大な人気を誇り、世にCK-one現象を巻き起こし香水の歴史をぬりかえた。ラルフ・ローレン、ダナ・キャランなど「3大」アメリカの代表的デザイナーの一人 カルバン・クライン。

1943年にニューヨークのブロンクス

ヨーロッパ人の移民として生まれる。 ニューヨークのマンハッタン・ハイスクールを62年に卒業し、ファッション工科大学(FIT)へ進学。68年、バリー・シュワルツと2人で自社カルバン・クライン社を設立。このとき、シュワルツの父から1万ドルを借金し、女性用コートを中心とした既製服事業からスタート。

70年代になるとクラインは多角経営に乗り出す。72年にスポーツウェア部門を設置し、同年3月には、化粧品・香水の会社を設立、写真家アーヴィング・ペンとのキャンペーンにも成功した。70年代後半以降は、ジーンズや下着なども手がける。とくにジーンズの広告キャンペーンではブルック・シールズを起用し反響を呼んだ。70年代から80年代にかけては、クラインの押し出すセクシャルな広告が常に議論を巻き起こしている。

天然繊維を好むクラインの作風はアメリカン・トラディショナルをベースにしたカジュアルなもの。セパレーツの妙味を落ち着いた基本的なデザインでまとめ、シンプルさと着やすさにあふれた、ヨーロッパにはない機能性をもっている。さらに近年の作風は、よりシンプルで洗練されたものとなってきている。よりファッショナブルなヤング向けブランド「CK」も人気がある。
日本ではセカンドラインの「CK」の方が馴染み深い。

カルバンクライン商品
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カルバンクラインのレディース腕時計
カルバンクラインのメンズ腕時計

カルバンクラインのレディース女性香水
カルバンクラインのメンズ香水



デザイナー

フランシスコ・コスタ
2004年 - 後任デザイナーに、レディスはグッチで活躍していた
フランシスコ・コスタが就任した。
メンズはロメオ・ジリのデザインチームにいたイタロ・ズッケーリが就任。

カルバンクラインに関連する書籍
Obsession: The Lives and Times of Calvin Klein(洋書)

CALVIN KLEIN

アメリカの伝統を引き継ぐファッションブランド。
メンズのカルバンを皮切りに、オブセッション、エタニティー、エスケープなどを
男女カップルフレグランスとして、香水界に一大旋風を巻き起こす。
オブセッションはその香りの濃厚さで有名。外国人にフィットすると思われる。
1994年に超有名作CK-oneでまたもブレークする。
若者の心をとらえて離さない実力を持ち、クラシックな良き香水を生産するブランド。

一口メモ
人気デザイナー、カルバン・クラインの香水の広告に対し、
英国で性的表現が露骨すぎるとの批判が出たという。
上半身裸のカップルがキスしている広告で、女性の胸の一部を覆うように、
香水のボトルを持つ男性の手が配されている。
カルバンクラインのセクシャルな広告は、過去にも何度か論議を巻き起こしている。
これも戦略のひとつなのではと勝手に推測。




Calvin Klein
History


1943年、ニューヨークのブロンクスにヨーロッパ人の移民として誕生する。クラインは5歳の頃から服飾デザイナーに関心をよせていた。

1962年、ニューヨークのマンハッタン・ハイスクールを卒業。
ファッション工科大学(FIT)へ進学。
大学卒業後、ダン・ミルシュタイン・ハウス・オブ・デザインで勤務。
この頃、父が経営する食料品店で食べ物を袋に入れているとき、偶然に「ファミリー・サークル」誌を拾い、自分がデザインした女性のコートが掲載されているのを見る。その後コートとスーツのメーカーなどで働く。

1968年、バリー・シュワルツと2人でカルバン・クライン社を設立。
このとき、シュワルツの父から1万ドルを借金し、女性用コートを中心とした既製服事業をスタートさせる。
当初は3着のドレスと6点のコートしかなかった。

ブティックは、セブンス・アベニューのヨーク・ホテルの小さな店であったが、ある日、このホテルで、ボンウィット・テーラー百貨店の商品部長であったドン・ポブライエンが間違えて6階に降り、彼のコート・ラインを目にしたのが成功の始まりであった。
この件がきっかけとなり、カルバン・クラインはボンウィット・テーラー百貨店から5万ドルのオーダーを受けた。

1970年代、多角経営に乗り出す。
1972年、スポーツウェア部門を設置。
3月には、化粧品・香水の会社を設立、写真家アーヴィング・ペンとのキャンペーンにも成功。
1975年には伊勢丹からアメリカ人デザイナーの第1号として彼の作品が日本で発売された。
1970年代、後半以降には、ジーンズや下着なども手がけるようになる。
とくにジーンズの広告キャンペーンではブルック・シールズを起用し反響を呼んだ。
1970年代から1980年代には、クラインの押し出すセクシャルな広告が常に議論を巻き起こした。

1980年代中期以降、カルバン・クライン社はコレクションのサンプルや使用素材などをカンザス州立大学へ寄付するなど、文化事業に対しても精力的な活動をしている。

1983年、カウンシル賞を受賞。

1993年、アメリカ・ファッション・デザイナー協会のメンズ部門、レディス部門の年間最優秀デザイナー賞を同時に受賞。

1995年、ヨーロッパで初のカルバン・クライン・コレクションを開催。

コティ・アメリカ・ファッション批評家賞を4度受賞(1978年2月までに既製服部門では最年少の受賞)。
「ファッションの殿堂」入りも果たした。1995年 - ニューヨーク マディソン・アベニューに旗艦店をオープン。ヨーロッパで最初の「Calvin Klein Collection」を開催。
2001年 - アメリカ市場からセカンドライン「ck Calvin Klein」を撤退。
2002年 - Calvin Klein社を4億3000万ドル(約520億円)でアメリカのアパレル会社フィリップス・バン・ヒューゼン(PVH)に売却し、PVH傘下に入る。
2003年 - クライン、デザイナーを引退。
2004年 - 後任デザイナーに、レディスはグッチで活躍していたフランシスコ・コスタが、メンズはロメオ・ジリのデザインチームにいたイタロ・ズッケーリが就任。


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