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GUCCI
グッチ創設者グッチオ・グッチは1881年フィレンツェで生まれました。20世紀初め、ロンドンのサヴォイホテルでエレベーターボーイとして働き始め、ホテルを訪れた上流階級のエレガンスを学びフィレンツェに戻るとアンティークショップに勤め、その後皮革会社で貿易やマネージメントを学び、第一次大戦後はレザークラフトの会社に迎え入れられ、革の選別法やメンテナンスを覚えローマ支社の支配人となります。そこで経営手腕を発揮したあと、ついに1921年フィレンツェ(イタリア)で革製品の輸入・販売店を開業し、翌年にはフィレンツェ伝統の職人技術による、ハンドメイドの高級革製品の店を開くことになりました。 高度な技術を持つ皮職人達が創る革製品は、その品質の高さから大好評となり一躍高級ブランドとしての地位を確立します。1935年、国連による経済制裁で、イタリアは他国との貿易が禁止されます。皮革の入手が困難となったグッチは窮地に追いやられましたが、グッチオと彼の息子アルドは、残り少ない原皮を極力減らさないように、皮革以外の素材を組み合わせて製品を作ることを考えました。そして生まれたのが、竹と革を組み合わせた、GUCCI最初のブランドアイコン製品である「バンブーバッグ」です。グッチオの息子アルドは自社のバッグに自らデザインを担当し、創業者グッチオ・グッチのイニシャルのGをふたつ組み合わせた、「GGマーク」を完成させました。 1950年代に入り、ストライプ・ウエビングや、メタルビット付きモカシンシューズ等を発売しこれらも大ヒットとなりました。1953年のグッチオの死後、経営的な内部紛争が絶えず企業改革に苦心する時期がつづき、コピー製品に関する法廷闘争の疲弊も相まって、70年代から80年代にかけてグッチ・グループは経営に行き詰まりをみせますが70年代には、東京店と香港店をはじめ世界中に急速に拡大。1978年、グッチは、オランダのアムステルダムに本社を構えグッチ・グループ(Gucci Gourp NV)社として改めてスタートを切ります。 1994年に、ドーン・メローの後継としてディレクターにトム・フォードを迎えます。トム・フォードは伝統と歴史に現代的なトレンドをミックスした新しいグッチのイメージを作り上げました。翌95年にマウリッチオ・グッチが射殺され続いてパオロ・グッチも死去。グッチ家は全滅しましたが、ドメニコ・デ・ソーレを迎えグッチは新しい第1歩を歩み出しました。 |
デザイナー

トム・フォード(Tom FORD)。
1962年、アメリカはテキサス州に生まれる。
パーソンズ・スクール・オブ・デザイン卒。88年からペリーエリスの下で腕を磨き、90年にグッチのレディースウェアのデザインスタッフに加わる。94年、クリエイティブ・ディレクターに就任。95年、VH-1(VH-1
Fashion and Music Awards)のファッションズ・フューチャー・ベスト・ニュー・デザイナー賞、96年のVH-1
メンズウェア・アンド・ウィメンズウェア・デザイナー・オブ・ジ・イヤー、99年のVH-1
ウィメンズ・デザイナー・オブ・ジ・イヤー等、他にも多数の賞を受賞しており、その手腕は高く評価されている。2001
S/Sよりイヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュのデザイナーに就任。
2004年4月30日。グッチ・グループのクリエイティブ・ディレクターとして活躍しつづけてきたトム・フォードが同グループを去りました。
トム・フォードの今後については不明ですが、彼は「自分は人々が思っているほど裕福ではない」と断った上で、しばらくの休養の後、映画監督になりたいとあちこちでコメントしています。これを証明するかのように、リヴ・ゴーシュのラストコレクションでは友人でもあり、「キルビル」などタランティーノ映画や「シカゴ」などで有名なミラマックスの共同会長、ハーヴェイ・ワインスタインが姿を見せていました。ハーヴェイは「私は友人として、ここにいるだけ。何もコメントできない」と答えていましたが。もちろん、トムが映画を作りたいなら、それはそれでかまわないのですが、近い将来に彼のブランドを見てみたい気がします。
トム・フォードの後継者
レディスがトム・フォードの部下でレディスデザインチームのヘッドだったアレッサンドラ・ファッキネッティ(ミュウミュウ出身)、メンズがメンズ部門のナンバー2であるジョン・レイ(キャサリン・ハムネット出身)、アクセサリーがフリーダ・ジャンニーニ(フェンディ出身)の3人、リヴ・ゴーシュの後継者は同じくトムの右腕でプラダ出身のステファノ・ピラッティ。
2005年には、フリーダ・ジャンニーニ氏のクリエイティブディレクター就任で、伝統的なデザインに現代的な味を加えたスタイルを展開している。
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