1920年
ドイツ、ニュールンベルグ近郊のヘルツォーゲンアウラッハ、家族で靴製造をしていたユダヤ系靴職人の父クリストフ・ダスラーと洗濯屋の母ポーリング、息子のダスラー兄弟が、正式に靴製造の会社ダスラー兄弟商会を設立した。兄ルドルフが主に販売を、弟アドルフが主に生産を担当した。
1925年
6本固定スパイク付きのトラック専用ランニングシューズを発売。
1926年
サッカーシューズを発売。
1928年
アムステルダムオリンピックで選手の約半数がダスラーシューズを履いた。
1929年
世界初のくぎ止めスタッド付きサッカーシューズ発売。
1931年
最初のテニスシューズ、発売。
1936年
ベルリンオリンピック陸上でダスラートラックシューズを履いたジェシーオーエンスが4つの金メダルを獲得しダスラーも有名になった。
1948年
6月30日、兄ルドルフのRUDE(翌年からプーマ)社、弟アドルフのアディダス社に別れた。アディダスはアドルフの愛称アディとダスラーをつなげたもの。ラインがそれまでの2本から3本に変わった。
1953年
世界初のスタッド取り替え式サッカーシューズを発表。
1954年
サッカーワールドカップスイス大会雨天の決勝で、スタッドを雨用に取り替えた西独チームが優勝。
57年、世界初のナイロンソール採用のサッカーシューズとトラックシューズを発表。
1960年
ローマオリンピックで75%の選手がアディダスを履いた。
1964年
東京オリンピック、80%の選手が履き、100mでボブヘイズが、1万mでビルミルズが優勝。
1965年
スタンスミスと改名されるテニスシューズ、「ハイレット」を発表。靴が足にプリントされているといわれた履きごごちでベストセラーに。これまでに2200万足販売。
1967年
世界初のアキレス腱パッド付きシューズ発売。
1968年
メキシコオリンピックで85%の選手がアディダスを履く。
1970年
メキシコワールドカップで80%がアディダスを使用。オールレザーのバスケットシューズ、「スーパースター」発表。NBAトップスターのアブドルジャバーが履いた。貝殻をモチーフにしたつま先のラバー部分をシェルヘッド、シェルトップという。
1971年
ムハメッドアリとジョーフレイジャーが共にアディダスを履いて世界タイトルマッチを戦った。
1972年
ミュンヘンオリンピックで60%がアディダスを着用、114個中93個のメダルをアディダスが獲得した。「SL72」発表。ランナーズワールド誌の1位になる。
1974年
ワールドカップ西独大会でアデディダス着用が85%。皇帝ベッケンバウアー、ミューラーなどの西独チームがアディダスで優勝。
1975年
「SL76」発表。
1982年
ソールの素材硬度を変えられるサッカーシューズ、「コバムンディアル」発売。現在もたくさんの一流プレーヤーが使用するモデル。
1984年
ロサンゼルスオリンピックで124国がアディダスを使用。
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1920年、ルドルフ・ダスラー(兄)とアドルフ・ダスラー(弟)
「ダスラー兄弟商会」という靴製造会社を設立し、室内用のシューズを作りはじめ、1924年、スポーツシューズ製造工場を建て、体育館用シューズを本格的に作るようになり、1925年に6本の固定スパイク付きランニングシューズ、さらに1929年には世界初釘止めスタッド付きサッカーシューズを完成させ、次々と画期的なシューズを開発。ダスラー兄弟は、世界的なスポーツの祭典オリンピックに目を向け、数多く選手たちとコンタクトし、シューズの品質・安定性を追求、その結果、「ダスラー兄弟商会」は飛躍的な成長を遂げる。第二次世界大戦終結から3年後の1948年、さまざまな出来事が兄弟を襲い、度々意見が食い違うことが多くなったことを理由に、アドルフ・ダスラー(弟)は、ルドルフ・ダスラー(兄)と分裂。アドルフは47名のスタッフとともに、ヘルツォーゲンアウラッハに「アディダス社」(名前の由来は、アドルフのニックネームであった「アディ」に、名字である「ダスラー」を繋げたアディ・ダス(ラー)を設立。王道の三本ラインも発表。ルドルフ・ダスラー(兄)も「RUDA社」を設立、翌年これを「PUMA社」と改め、アディダスとプーマが誕生。ヘアツォーゲンアウラッハ市という小さな町(人口23,500人)から、生まれた2つの大会社。現在も尚、世界の人々に愛され続けているブランドとして君臨している。
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